脚本家のジェームス三木がエッセイで語っていたことがある。
筆がのっている夜中にタバコが切れてしまった。
自分でコンビニに買いに行けばいいのだが、頭の中でストリーがうまく回転している最中である。
席を立つとイメージが途切れてしまうと考えた彼は、妻にタバコを買ってくるよう言おうと思う。
ところが作家という職業はここからが違うところである。
自分がこう言えば、妻はこう答える。そして自分はこうやり返すと、妻はそれに対してこうやり返す。
結果、自分が寒空に防寒着を着て外に出ることになる。
そう考えると、タバコを諦めてしまう。
自分の中でずっと先のストーリーまで考えてしまうのである。
そこに小さいがストレスが生まれる。
知りあいの作家も同様である。
自分の考えや問いに対して、相手がきっとこう言うだろうと先を読んでしまう。
自分で先のストーリーを作ってしまうのも同じである。
そこにささやかな挑戦的抵抗や意欲があったとしても、
すでにストーリーの中で、結果まで出しているのだから無駄な抵抗は損という結論になる。
人は最後の一瞬まで諦めたら本当はダメだと分かっている。
スポーツを観ていると自分が忘れていた最後のねばりを思い起こさせてくれる。
だからそこに皆が感動し、自分にも勇気をもらう。
頭の良い人は先を読み過ぎる。
その点では損か得かと言えば損をしている。
鈍感力という本がある。読んでみるといいかも知れない。
自分の人生を考え過ぎず楽に生きるコツを自分なりに掴んでいることは
たとえタバコを買いに行けなくてもストレスにはならない。
そんな人生でありたいと思う。